「なんでそんなことしてるの?」
ってよく聞かれます。
しかし私の答えはいつも適当です。
「趣味みたいなものです」
「使命感かな」
「変態だからです」・・・
この活動は間違いなく赤字ですから、お金目当てではありません。
不公平に対する怒り、憤りといった感情は持っていませんし、反政府的な思いもありません。
憲法訴訟の役割は「国会の立法裁量に影響を与えること」という作花先生の言葉は実感していますし、法改正による不公平の是正を目指してはいますが、本当のところ私が訴訟活動する理由は自己探求のためです。
といっても最初は違いました。
日本は三権分立になっていて立法府がおかしな法律を作ったら裁判所が違憲立法審査権を使って判断してくれるということを中学校で学んだので、「不合理な法律は裁判所に訴えればいい」と思い込み、それを実践したのが始まりです。
今考えれば無茶苦茶なことをしているのですが、民事訴訟法も行政事件訴訟法も審査請求前置主義も全く知らずに訴状のサンプルをダウンロードし、寡夫控除の不合理を書き連ねて横浜地方裁判所に持っていきました。受付の人もどう扱えばいいのか大変困っていた様子でしたが、当時は何が問題なのかさっぱりわかりませんでした。
そんな素人の訴えを裁判官も法務省の人たちも相手にしてくれて、口頭弁論も2回やってもらいました。勿論結果は不適法で却下です。
それでも、いろんなものを勉強したり発見したりしました。裁判の仕組みとかは勿論、自分自身の新たな側面を見つけたのです。
そして、どんな状況の時に自分はどう考えてどう動くのか、普段遭遇しないシチュエーションを自分はどう感じ、どのように思考を整理するのか。そんな中で経験を重ねて成長していく自分を発見したのです。
二度目の寡夫控除の裁判は、法的な手続きを学び所得税と住民税の両サイドから取り組みました。所得税は高裁まで、住民税は最高裁までやりましたが、裁判前と後ではオタマジャクシとカエルぐらい違うと思います。手も足も出なかったのが前足と後ろ足が生え、最後に水の音くらいはたてられたと感じています。
おそらく私は知らないことを知りたいという欲が強いのでしょう。知識欲とはちょっと違い自己探求欲(探究心)が強いようです。
裁判を進めていくと自分の内外に次々と新しい発見がありますが、井戸から飛び出したカエルのように「へぇ」「そういうことかぁ」「なるほどぉ」と思うことがたくさんあり、誤解を恐れずに言えばそれが嬉しいし楽しいんです。そしてそういう新しい発見が推進力となって、ますます自己探求欲が強まるのです。
だから「自分自身の謎を解き明かすこと」
それが私が訴訟活動をする本当の理由です。
ケロッケロ🐸